管理人より(ほぼ独り言)

時のたつのは早いもので、役者「山田辰夫」がガンで逝ってからもう1年になる。
最初にそれを知ったのは確かネットのニュースだったはずだ、いやもうすでにヤバイことはわかっていたから、
知ったというより《確認した》というほうがあっているかもしれない。
亡くなる数日前に辰夫さんから電話があった「*〜>%$#*〜」言葉になってはいなかったが自分にはそれで十分だった。
初めて辰夫さんに会ったのは今から16年前の1994年12月22日、もちろんそれ以前からスクリーンやTVでの活躍は知ってはいたけれど、まさか魔墓呂死のジンが自分の店に入ってくるとは夢にも思わなかった。
それ以来16年の長きに渡る、月に一度のお付き合いが始まった・・・(商売の方はご想像におまかせします)
そんなわけで、私が知っている山田辰夫は完全プライベートな辰夫さんで役者としての山田辰夫は普通のファンの方よりも知らないかもしれない。
そんなアンタがなぜ山田辰夫のサイトを?
そうなんです、自分でもよくわからないのですが、しいていえば成り行き?ですか・・・(なんか無責任)
ことの発端は私が辰夫さんの奥様に「そういえば、辰夫さんってサイトないですよね〜所属していた事務所のプロフィールも消えちゃったし、仕事の履歴もあちこちにバラバラになってるし、誰かにサイト作ってもらったらどーですか?せめて後から来た新しいファンの人たちに山田辰夫の残した仕事をまとめて紹介できるような・・・」
奥様「え?サイト?よくわからないなあ〜できるの?」
私「え、いや、ほんのちょっとだけなら・・・」
奥様「じゃ、作ってくれません?」
私「ええええ、ど、ど素人なんですけど・・・」
奥様「いいんじゃない?」
私「・・・・・う〜む、じゃやってみます・・・・・か」
さあ、そこからが大変、音楽家だと過去の仕事はディスコグラフィーとしてまとめられるけど、役者さんたちの仕事は与えられた役を演じるのが仕事(反論ありましょうが・・・ごかんべんを)・・・簡単にいえば辰夫さんにとって魔墓呂死のジンは昔の仕事!それだけのことで代表作には違いないけど、今の自分じゃない(ここらがファンとは決定的に違う)とおっしゃる。それゆえ辰夫さんから仕事の話はめったに聞いたことがないしこちらから聞かなきゃまず自分から話出すことはないので、生前それらしい(サイトに載せるほどの話)言葉をあまり聞いたことがない。
こんな手薄の状態でサイトなんて運営できるのか・・・(この不安は今もある)
まあ言ってみれば、ヨロヨロの出発とあいなりました。
これからも、たぶんシャンとはできないかもしれません、新しい情報も残念なことに増えていくことは少ないです。
ただ、山田辰夫という役者が生きてきた道をせめてネット上に残しておきたい、その気持ちだけで作りました。
尚、このサイトを作成するにあたり、奥様をはじめ義妹様等に多大な協力をしていただきました。
とくに奥様にはまだたった一年しかたっていないのに、写真をお借りしたり、いろいろ故人を偲ばずにはいられないような質問をしたり・・・辛い思いをさせてしまったことを心よりお詫びするとともに快く協力していただいたことを深く感謝いたします。
「役者山田辰夫」を表現するにはあまりにも稚拙なスキルのサイトではありますが末永くよろしくお願いいたします。
                                          管理人記(2010年7月26日)